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2009年9月

個人のつぶやきごととして聞き流してください

しばらくほったらかしのブログですが、いちおう毎日の管理は怠っておりません。

相変わらず「関口知宏」で検索されることが多く、(どうやら「関口知宏BBS」でYahoo検索するとココが10件以内に表示されるようで・・・)でも関口さん関連の最新記事は昨年のものだし、私自身最新の情報も持ち合わせていませんので来られても期待できる内容もないので、関口ファンにはつまらないブログだろうなと思ってます。

ただ最近・・というかここ1ヶ月内非常にアクセス数が多くなったのでなぜかと思いネット上を流れてみると、ちょっとした騒ぎがファンの間であった様子。とてもデリケートなことなので触れていいものかどうか迷いましたが、ココを目にするファンもきっといると思いますので私個人の意見をちょっとだけ書いておきます。その結果傷ついてしまった人がいたらゴメンナサイ先に謝ります。

関口ファン以外の人もここを見てるのでざっと説明をしますが・・事の発端は彼がライブで紹介した本が、ある宗教関係者の著書であったためファンの心理が乱れたということと、公式BBSの書込みがちょっと乱れて騒ぎになったということが一連の騒動のもとのようです。

公式BBSは私も時々見てましたが、ちょっと怖かったですね。大好きを通り越してそこまでいったらストーカーじゃない?と思うような書込みから、関口さんとは何ら関係ない個人的な話題を延々書かれてたり、BBSとブログとメール・・そしてある意味裏側?(本音?)ともとれる大型掲示板を混同してしまっているネットマナーがわかっていない人がいて、本来のBBSの姿じゃあないよな~と思ってました。最近は落ち着いているようですが、なんかみんな遠慮しちゃってるような・・数年前に見かけたネームはほとんど見られなくなりましたね。関口ファンって心の優しい方達もたくさんいるのに、時々言葉のキツイ方もいて・・ちょとコワイなと正直思ってしまいました。

そして、関口さんと宗教疑惑。

私は彼のイベントに一度も行ったことがないし直接話を聞いたりということもないので、そういうことに否定も肯定もできませんが、他人に危害が及ぶものでなければ誰が何を信じようともそれはその人の自由だと思ってます。

人は時として精神的・肉体的に弱くなるときがあります。どこにも救いが求められなくなったとき目にした・・耳にした言葉に癒されたとしたらきっとそれを信じるだろうと思います。旅番組や講演で関口さんの言葉に救われたファンの方達がいるように・・。関口さん自身も癒された言葉があったのかもしれませんね。けれどそれが全てではなく、自分を救うのは結局自分自身だと言うことを目に見える現実の世界で知っていかなくてはなりません。国内外を旅して様々な人々と出会った関口さんですから、目に見えない世界ばかりを信じているわけじゃあないと思うんですよね・・きっと・・。

この騒ぎの中で、鉄道旅番組や講演会などで彼の言葉に癒されファンになっていって、この疑惑騒動でその言葉が宗教から来るものと思いショックを受けて遠ざかった人もいるようですが、私はそれほどに強い受け止め方はしていません。まあ・・それだけ熱心なファンでないのかもしれませんが、だからなのか・・冷静に見ているところがあって(メディアや著書からでしか見聞きしていませんが・・)彼の言う哲学的な言葉は理解にむずかしいと思ったりちょっと宗教の教えっぽいと思ったり、ん?そこはちょっと違うんじゃないかなと思うところも所々あって、彼が何かに影響されているとしても、やっぱそうなのかな~と思うくらいです。
けれど、関口さんが話をされる言葉の中にはハッと自分を気づかせてくれる何かがあるのも確かで、たとえその言葉がどこからか引用されてきた言葉だとしても、彼が話してくれたことでなにか大切なものを得たものもあるはずなのです。
どんな人が話された言葉であっても、自分の心に響いた内容の言葉であるならそれは自分にとって大切な言葉であって、宗教が嫌いだからと言ってその言葉まで否定してしまうのは違うような気がしてます。もし宗教と全く関係がない一般の人が会社のセミナーや自治体での講演会などでおんなじ事を話していたらどうですか?それは信じるのですか?
ショックを受けた方達は、信じていたものがウソだったと思われたのでしょうが、全てがウソだったんでしょうか?本当のウソの部分ってどこなんでしょう?きっと、その言葉で宗教の世界に引き込まれる恐怖が一番許せなかったのでしょうね。

でも、ひとつの疑いをもっただけでその人を色眼鏡で見てしまうと言うのは、なんとなく昔の地域差別・人種差別っぽいな~と思ってしまいました。(どんなに人柄がよくってもあの地域の出身の人だからお付合い遠慮しようかな~といった事みたいに・・)それはその人自身を見ることなく、先入観だけで排除してしまっているようなものだと思います。もし関口さんが何かを信じていたとしてもそれは一部分にしか過ぎず、その人なりを見ていることにはならない・・と思うのですが・・・

ファンの方達からは批判を受けそうですが・・・どんなに好きな人であっても一つや二つは嫌いな部分があるはずです。それは受け止める個々それぞれの好みによっても違うもので、これだけはどうしても許せないという範囲からこれは私の好みでない程度の範囲までいろいろで、その嫌いな部分と好きな部分があって人間は作られているのだと思うのですよ。
だから好きな人の嫌いなところが見えちゃったから嫌になったというのはその人の全てを見ていなかった・見られなかったからかな~と思ってしまうのです。(嫌いな部分の割合が大きすぎて受け入れられなくなったということもありますが・・)

宗教は信じない・・といっても、生まれたときはお宮参り、受験時は天神様、結婚式はキリストもしくは神前・仏前、死ぬときは神様・仏様。一生のウチにはどこかで宗教と関わり合いになるものです。日本各地のお祭りだって大元には宗教があって、昔から日本人は神を崇めながら日々の暮らしをしてきたのだと思います。
その「宗教」という言葉に違和感を感じる原因は・・生きている人間が神と成り上がっていってしまういわゆる新興宗教の存在。お金が絡んだり、犯罪まがいな行動を起こしてしまう団体が時として現れるため、宗教と聞いただけで遠ざけたいと思う人が多いのも確かだと思います。
イエス様もお釈迦様も天照大神も人々の語り継がれる中で神と称されただけであって、血の通った生身の人間が自分を神だと名乗ることなどありえないことなのです。生身の人間が神になることなど絶対ないことなのです。神を信じた万人が全て無病息災・幸せでいられるなんて言う神もあり得ません。神様は生きるヒントを教えてくれるだけ。幸せも成功も自分自身が自己責任で見つけていくしかないんです。

ひとくちに宗教といってもその種類はざまざま。その宗教によって自分自身や家族・生活まで支配されてしまうような(本人は支配とは思ってないのかもしれませんが)存在の信仰心だったらあまり深入りしないほうが・・・とは思いますが、お守りをもつ程度の心の支えとして信じているくらいの宗教心だったらアリかなと思ったりもします。

私はこの騒ぎがあった後でも「関口知宏」という人を嫌だとは思っていません。美味いものは美味い、不味いものは不味いと言う正直なところはウソではないだろうと思うから・・。何を信じていようともまだ自己を見失ってはいないだろうと思うから・・他のファンの方達のように熱心な活動はできないかもしれませんが、まだしばらくは「好き」でいられるような気がします。
最近ちょっと変わってきたという方もいるようですが、人は周りの環境や人間関係などによって時間の経過と共に変わっていくものでもあります。表面は変わっても心棒の部分が変わっていなければ(自分の好みであるならば)見捨てたりはしないだろうと思います。

スミマセン・・結局長々と・・

これが今の私の正直な気持ちです。異論もいろいろあるでしょうが・・一個人のつぶやきごととして見逃してください。

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